僕は大学で一応体育会の部活に入っていました。
一応といったのは、
3年生の途中までは
活動していた記憶があまりないからです。
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前回までのあらすじリーグ戦の最終戦を引き分け、
僕たちは九州大会の準決勝に臨むことになりました。
負けたら終わりの戦い。
ベンチスタート。
ウメがファールをしてしまい、3分間の退場。
僕が代わりに出ることになります。
結果、ボロボロ。
しかし、気持ちの面で
一つの大きな変化がありました。
ライバルからサポートへ。
〜〜〜
11/4
結果は散々だったが、相手のファールを取れた。
どんな形であれチームに貢献できた。
嬉しさ、そしてこれからは2本目としてウメを支える。
どうしてもダメな時は試合に出て流れを変える。
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全国大会をかけた最後の戦い。
3チームの総当たり。
場所は、葛西臨海球技場。
先輩たちも超えられなかった大きな壁。
今日はウメの調子がいい。
俺の出番はないな。
前の試合、ボロボロだった後輩のウメは
一週間でこうもたくましくなるのかと。
僕は彼を、ベンチで必死に応援しました。
嬉しくもありました。
これは彼が、三年間努力を重ねてきた結果です。
しかし、
後輩は頑張ってくれていたものの、
試合の流れは徐々に相手ペースに。。。
2試合終了し、結果、2敗。
全国の壁はやはり厚かった。
最後、後輩が気を遣ってくれたのか、
ほとんど敗退も決まった、
2試合目の4クウォーター、残り10分。
クリスさん行ってきてください。
結果
勝負には、負けました。
けどやってきたことは全部出せました。
後悔がないと言ったら嘘になる。
だけど、僕にはこれが限界だった。
四年間努力を重ねていたら、最後にチームを救って、
スーパースターになっていたかもしれません。
けど、もう一度、
今から大学生活をやり直したとしても
僕がスーパースターになる将来は見えませんでした。
やりきったかな。
観覧車が綺麗でした。
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僕は最後の半年、日本で1番がんばりました。
自己評価激甘トヨ
誰が1番努力したかなんて、どうせ誰にもわからないし。
負けまくったリーグ戦の試合後、
悔しくてベランダの芝で泣きながら練習したり、
手の痺れが止まらなくなっても、練習続けたり、
日本で2番目のチームの練習に参加したら
なぜかそのまま練習試合に出ることになりました。
負けすぎて、味方の人にボロクロに言われたり、ウメに負けたくなくて、
ウメ以外の後輩誘って自主練したり、とにかく毎日必死でした。
今までの僕なら逃げ出していたなと思うことも
がむしゃらに乗り越えてきました。
毎日新鮮で楽しい一方、
全部数字で結果が出る
厳しく、とてもシビアなポジション。
それまでの過程なんて正直、関係ありません。
大事なのは試合で勝てるかどうか。
それだけ。
楽しかったな。
部活生活四年間で、唯一の自慢は、
一緒に頑張ってきた後輩のウメが
その後、日本代表候補まで選ばれたこと。
他人の自慢で締めるトヨ
彼は誰よりも頑張っていました。知らんけど。
僕も実は、日本で2番だったのかもしれない。
そりゃ勝てねえ。
けど勝ちたかった。
次回ラストです!